こんにちは。
京都に行って記事たのですが。
今年って江戸時代の最後、明治時代の幕開けである
大政奉還から150週年なんですね!!
それで
大政奉還が行われた、
京都二条城が今とっても人気のスポットになっています。
今年の夏に二条城に行ってきましたのでその時の感想をお伝えしたいと思います。
二条城は江戸幕府将軍徳川家のお城です。徳川家康によって造られました。徳川家康が上洛した際の宿泊所として築城されたようです。
徳川家康が征夷大将軍に任命された際、重臣や公家衆などを招いて祝賀の催し行ったのも二条だったといいます。江戸時代の幕開けを見た城というわけです
それだけでなく、日本でもイチニの大事件、大政奉還を迎えたのがこの二条城。つまりこの二条城は江戸幕府の栄枯盛衰すべてを見続けたお城なんです!!
そんな歴史の渦に巻き込まれる二条城
歴史的背景もさる事ながら、
私が二条城を愛してやまないもう一つの理由
それは……
今回の記事では写真を通して愛しい二条城をご紹介いたします。
二条城の好きなところ
二条城を訪れて、まず出会うのがこの立派な唐門。天皇の接待のために改築したと言われています。来てそうそう何度もシャッターを切りました。
たしかに大きく豪華、しかしその作りはなんとも繊細。
その美しさにはただただ息を呑みます
この門をくぐると、二条城で最も人気のある二の丸御殿に入り口となります
この二の丸御殿こそかの大政奉還の宣言がなされた場所
御殿が残るお城は日本でも有数なのだとか。昔の殿様の生活を垣間見ることができます。
中には将軍のお城にふさわしいインテリアの数々!!
建物もさることながら、私が愛してやまないのは二条城の庭園。日本の文化、日本の香りを感じます。
まさに自然のミニチュア、そのように感じられる二条城二の丸庭園。水面に映る二条城はどこか哀愁が漂い、歴史をずっと見続けてきた生き証人である威厳を感じさせます。
内堀を抜けると、明治以降に整備されていった本丸御殿へと続きます。
本丸の端っこに寂しく有るのが二条城に昔あった天守閣のあと
この上から京都、そして二条城を見渡せます。少し風に浸りながら休憩されてはいかがでしょうか??
二条城のトレビア
さてこの二条城
地図で見るとちょっと違和感を覚えるところがあります
京都って、碁盤の目のように東西、南北にきっちり道が敷かれていますよね
でもなんか二条城
周りの道と比べると
ちょっとずれているような気がしませんか??
これ、実際に
東に三度ほどズレています。
建築は完璧
内装も完璧
庭園も完璧
そんな二条城がなぜ、航空写真で見ると違和感を感じるのでしょうか??
それにはこんな経緯があるのだとか!!
京都の街ができたのは二条城ができる700年以上前、ご存知桓武天皇が「なくよ(794年)うぐいす平安京」を造営。
この時、北極星を目印に東西南北を決めて京都の街を作っていきました。
1602年、徳川家康が二条城を建設した時、ヨーロッパからキリスト教が伝来してきて、西欧の最新技術が日本に入ってきました。その一つが方位磁針(コンパス)です。
現在明らかになっていることなのですが、北極星が示す北とコンパスが示す北はズレが有るんです。それで現在、北極星が指す北は真北、コンパスが指す北は磁北と呼びます。
磁北は時代とともに変化し、江戸時代には真北より3度ズレていたようです。現在は七度くらいの差があるのだとか。
しかし江戸時代にはそんなこと知られていませんでした。
きっと二条城建設の際こう思ったことでしょうあ
「我々が使っているコンパスは最新の技術だ、それに比べて京都の町はずっと昔の平安時代の技術で作られた。コンパスのほうが正しいに決まってる!!」
我々若い世代は
どうしても最新の技術ばかりでなくて
年配者の知恵に敬意を払わないといけませんねwww
大政奉還150年の二条城で歴史に浸る
時代の反映も衰退も
全て見続けてきた生き証人、二条城
ぜひあなたも京都におこしの際
その優雅でありつつも哀愁漂う二条城で
歴史を感じて見られてはいかがでしょうか??
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