4回に渡って解説してきた三国志。ここでとうとうクライマックスである赤壁の戦いを迎えます。孔明は曹操にどう戦うのか? そして、中国は誰の手に渡るのか!?
前回のあらすじ
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小学生でも分かる三国志 その3 孔明登場! 天下三分の計
中国の歴史「三国志」。力を増していく悪のカリスマ曹操。劉備、関羽、張飛はどのようにして対抗するのでしょうか。三国志をわかりやすく解説するシリーズの第2ページです。新解釈三国志を見に行く前に、三国志の流 ...
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悪のカリスマ曹操が中国で影響力を伸ばす中、劉備は天才軍師孔明を味方につけ、天下を3つに分けるというとんでもない作戦に打って出た!
赤壁の戦い
孫権と手を組もうと計画する孔明。彼は孫権のもとに行ってがうまいこと交渉しようとします。
周瑜
孫権の下には周瑜(しゅうゆ)という頭のいい軍師がいました。ところがこの周瑜は、「孔明も頭いいかもしれませんけど、私も優秀なんだ!」と孔明をとにかくライバル視します。
しかし孔明の「一緒に組んで曹操をたおしましょう」というアイデアには賛成し「曹操を倒せるのは私とあなただけでしょう、いきましょう」と同盟が結ばれます。
これが赤壁の戦いの始まりです。
これがレッドクリフという映画の舞台です。日本で言えば関ヶ原の戦いのようなクライマックス。
しかしここで、周瑜がライバルの孔明をひっかけようとします。
周瑜 「我々の軍には弓矢が足りないので調達しないと大変です。この戦いは長江での船と船との戦いになります。船の戦いでは、矢が足りなかったら勝てませんよ」
孔明「調達はできなくはないと思いますよ」
周瑜「できるって言いましたね! やってもらいましょう」
孔明「やりましょう」
これで周瑜はニヤリとします。そんなに多くの矢を集められるわけがありません。揚げ足を取れそうです。
しかし……
孔明 じゃあちょっと船借ります と一人で船に乗ります。そして敵がたくさんいる対岸の方に一人で船に乗っていってしまうではありませんか。
船にわら人形をたくさん積んでいます。敵の方に船をすすめます。まるで自殺行為のように見えます。
しかしこのとき、あたり一面を切りが覆っていました。曹操の見張りは霧から急に現れた孔明の船!!
曹操軍「敵が奇襲攻撃をしてきました!!きりで隠れながら来ました!! しかも船の先頭に孔明が立ってます!!」
「なに!! 弓矢で射て!!」
孔明の船は、弓矢を雨嵐のように打たれまくります。孔明は船の中ににすぐ隠れます。そして
「そろそろバックで!!」
とすっと孔明の船は帰ってしまいます。
曹操「何だあいつ、来てすぐ帰ったな」
曹操軍は訳もわからず孔明の船が行ったので攻撃をやめます。
孔明が帰って周瑜に言います。「矢を調達してきましたよ!!」
周瑜が見たのは……
なんと、藁人形に矢が刺さりまくっているではありませんか!その数なんと 全部で10万本!!
ここに孔明の才が明らかになったのでした。そしてここでも、そしてこれからも周瑜は孔明を常にライバル視するも、いつも孔明にはかなわないのでした。
既生瑜何生亮
諸葛公明さえいなければ自分がナンバーワンなのにという周瑜の嘆きの言葉です
苦肉の策
曹操のほうが絶対的に強いが、劉備孫権連合は軍師が活躍します 作戦を立てまくります。
もうひとりの軍師、それが、龐統(ほうとう)。龐統は孔明と並び称される軍師です。龐統は言います。最も良い策は船を燃やしてしまうことです。火を放ちましょう。
しかし、相手は対岸にいて厳重な防備が敷いてあります、どうすれば火を放つことができるでしょうか?
ここで使った策が……
苦肉の計(くにくのけい)
黄盖
まず、周瑜は黄蓋(こうがい)という孫権の部下を滅多打ちにします。ものすごく理不尽に! そして黄蓋は腹が立って、曹操のところに行きます……
というのはシナリオ! 。黄蓋を滅多打ちにして裏切る設定で黄蓋は曹操のもとに行くのです。
周瑜打黄盖 一个愿打一个愿挨
周瑜が策で黄蓋を打ったその言葉。
ここから「苦肉の策」という言葉ができました。
そうそうももしかしたらスパイかもしれないと思いつつ、黄蓋が受けた虐待の酷さにびっくりして、流石に恨み強いだろうと仲間として受け入れます。
黄蓋は曹操のもとにご情報を流します。
「船を連携させるには鎖で船をつなぐといい」
この情報を信じた曹操は船を鎖で縛ります。
そして曹操が船に乗り込んだところを黄蓋が火を付けたのです。船は鎖で繋がれているので、火がどんどん燃え移っていく、逃げられません。
孔明は崖の上で踊りだす
「風をふかせます」
孔明が風を呼ぶとなんと本当に強い風が吹いたのです!!
実は孔明はその土地の天候を把握していた。そのタイミングで黄蓋をスパイに行かせ、あたかも風を呼ぶようなルックスで踊ってみせたのです。
風に煽られ火は船から船へ燃え移ります。曹操の船はすべて火でも得てしまい、曹操はくしくも救助用の小さな船に乗って逃げ帰ります。天才曹操の初めての大敗北でした。
「あれが諸葛亮か……」
曹操は孔明の才の凄さを思い知ったのでした。
劉備と孫権の不仲説
赤壁の戦いで負けたとはいえ、曹操はやはり天才のカリスマ。呉の孫権との戦いを続けます。しかしここであの劉備がずるいことをします。魏と呉が戦っている中で、横目で見ながら劉備が後の領土を横取りするという事件が起きます。
それで呉の孫権が怒ります。
孫権の軍師周瑜が考えます。「孫権様の妹と劉備を結婚させて仲直りしようという雰囲気にしましょう。そしてお祝いの席で劉備が油断しているすきに、劉備を人質にしましょう。そして横取りした土地を返すように交渉しましょう!」
ということで劉備のもとに結婚話を持ち出します。劉備の部下たちは、「劉備様と孫権の妹との結婚ならもう安泰だ!!」と浮かれます。
しかし孔明は気づきました。「多分これは罠ですよ!」
劉備「え?そうかなぁ……」
孔明「だってこっちは呉の領土を奪ってしまってますからね。恨まれても仕方がない。だから注意深く行きましょう。劉備様の周りに最強の護衛を付けましょう」
劉備と孫権の妹との結婚式が始まります。しかも劉備の周りにはたくさんの護衛がはべっています! 周瑜はは護衛がいることにきづき、手出しできません。結局、普通に結婚式になってみんなで見守るという会になってしまったのでした。
漢中争奪
劉備は力をつけて乗りに乗っています。
劉備「よし、いよいよ曹操から土地をもぎ取ろう! 」
こうして劉備は、あの最強のカリスマ曹操に対して単独で戦争を仕掛けることにしました。
そして魏の国の要所の都市である「漢中(かんちゅう)」を攻撃します。これが。「漢中争奪(かんちゅうそうだつ)」です。
曹操はまだ劉備をなめていました。劉備のところにはたしかに凄腕がいるが、関羽、張飛、孔明の三人だけだ、こう考えていたのです。
ところがこの戦いで活躍するのが意外な人物でした黄忠(こうちゅう) というおじいさん、しかしおじいさんだがベテランの勇者でした。
曹操軍の方を率いるのは夏侯淵(かこうえん)。曹操のもとには、夏侯惇(かこうとん)と夏侯淵(かこうえん) という兄弟がいて、二人は曹操からすると従兄弟でした。
兄の夏侯惇は片目の将軍で曹操のためなら全てを捧げる曹操の右腕。
そしてその弟が「夏侯淵」。しかし夏侯淵は黄忠にやられてしまうのです!
劉備は戦いに勝利し、漢中で王を名乗ります。
まさかの英雄の相次ぐ死
乗りに乗った劉備。しかし、彼らの進撃はそう長く続きませんでした。
曹操と劉備が戦っているのを見た呉の孫権は劉備軍に攻撃を仕掛けます。これで劉備は挟み撃ちになってしまいました。
孫権は劉備の一番の家来、関羽に恨みを持っていました。というのも、孫権は関羽に縁談をもっていきます。「私の息子と関羽さんの娘を結婚させないか?」
しかし関羽は断ります。しかもえげつない言い方で断ります。「トラの娘を犬の子にやるわけにはいかないので……」。この言葉で孫権ブチギレです。
劉備軍は挟み撃ちに合い、関羽は孫権軍に騙されて殺されてしまいます。関羽が死んだことで一気に劉備軍は精神てき支柱を失うのです。
孫権が関羽の首をとって曹操に送る曹操は関羽死んだことを嘆き、手厚く弔います。
しかしなんと曹操も病気になります。そして病に倒れ、天才カリスマが死んでしまうのです。
そのうえで、なんとなんとなんと……
張飛も死ぬ!
なんで?
部下に手を上げて部下に切れられてねクビを襲われるというわけのわからない死に方……
このようなわけで、劉備 何もかも失う……「孫権このやろう!!」
感情的になる劉備、孔明は止めにかかります。
孔明「あつくなってはいけません」
劉備「いや、3人は同じ日に死ぬと誓ったんだ!」
孔明「あなたの目的はなんですか! 「劉」の性を持つあなたが漢王朝を復活させることでしょ!曹操は自分勝手に献帝を立てて我が物顔になっている。敵は孫権じゃなくて曹操のほうなんだったんです!! 曹操いないんで、孫権なんかほっときましょう! 熱くならないで!!」
劉備「ばかやろう! おれはいく!!」
と劉備は孔明を押し切って孫権を攻めます。
しかしあまりに無謀なので一気にやられます。このなか劉備も病で倒れるのです……
劉備「孔明、お前のいうことを聞かなくて悪かった、でもかたきを討ちたかったんだ、孔明、どうか俺の息子を頼む……」
ここで劉備が死にます。
劉備、曹操、関羽、張飛……三国志のヒーローたちが急にいなくなる……
ここからは諸葛孔明が主人公となります。
孔明「僕しかいないってどういうこと??」
孔明の北伐
そんな中、孔明は劉備との約束を守るためにも魏を攻めます。 何度も何度も、6回も攻めるのです。これを「北伐(ほくばつ)」といいます。この北伐のさなかに「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」
という故事成語ができました。
馬謖というのは孔明の優秀な部下でした。しかし孔明は馬謖に忠告します。「今回の戦いではあそこに陣営を敷くな」。しかし馬謖は忠告に従わず、その山の上に陣を築いてしまった。
その時の魏の軍師は司馬懿(しばい)。
司马懿
司馬懿が山の陣営を取り囲んで馬謖はピンチに……
すごく大事な部下だが示しがつかないから孔明は馬謖を処刑。涙をのんで身内を切るここから、「泣いて馬謖を斬る」という言葉ができました。
孔明は窮地に立たされます。馬謖が失敗したから軍勢みな滅ぼしの危険が近づいていました。
孔明「わかった、うまく逃げられるように考える、城を全部開け放て、みんな逃げろ、俺だけ残る」
孔明はこういって自分以外のみんなを逃します。
司馬懿 「孔明の軍はどうなってるんだ」
部下「開け放たれています」
司馬懿 「孔明は?」
孔明は、なんと上で琴をひいて待ってるのです!!
司馬懿 「どういういみだ!?」
司馬懿も意味がわからない。そして孔明のことだからきっと何か作戦があるのだろうとフカヨミします。そして司馬遷は「逃げよう!!」と撤退を決定します。
孔明は……
「助かった……」
孔明は何も作はなかったのですが、あえて余裕を見せて敵をフカヨミさせて恐れさせたのです。この作戦を……
空城の計
からの城で余裕ぶるという作戦をとったのです。
孔明の死
泥沼化した北伐もとうとう6回目。このとき何故か孔明がせめても司馬懿は全然本気で攻めてきません。のらりくらり孔明の攻撃をかわすだけです。
部下は訪ねます。司馬懿さん、なぜ孔明をせめないのですか?
司馬懿は分かっていました。孔明はたった一人で6度も攻めた、それがどれだけのプレッシャーかわかるか? 大国に小国ながら仁義だけでたたかう。彼の生き様は認めよう。だが、彼の心も体ももうボロボロだ。
そう、孔明はここで過度なストレスで倒れるのです……
最後に中華を統一するのは……
とうとう孔明も死にました。すべてのスターがいなくなったのです。
呉の孫権はというと、中国全てを統一しようとするよりは自分のエリアだけをきっちり守ろうというスタンスを取っていました。それで、呉の国の中で内部分裂が始まります。
司馬一族の魏の掠め取り
そして魏の国です。曹操亡き後、軍師の司馬懿は曹操の息子の後見人となりました。そして次の代の子供の後見人ともなりました。このような状態のため魏の国での司馬懿、そして司馬一族の発言力はどんどん高まります。
司馬懿の息子、司馬師(しばし)の時代、とうとう孫権は病死します。孫権亡き後の呉は内部分裂でむちゃくちゃ、一気に衰退へと下っていきます。
そんな中、司馬師の弟の司馬昭(しばしょう)の時代に、司馬昭はとうとう魏の中でも最大勢力である「晋」という国をつくり、その王を名乗ります。
そして司馬昭の子供、司馬炎(しばえん)の時代に魏の皇帝から皇位を禅譲、つまり皇帝の座を渡すようにさせることで、司馬炎が皇帝になるのです。
魏呉蜀の戦い最後は、義の軍師が生き残ってトップになる。そしてそれは曹操の子孫から権力を掠め取って、スライドさせて、晋という国を作り、全てを飲み込み、晋の皇帝となったのでした。
今に残る大スペクタクル
三国志のラストは、劉備でも曹操でも孫権でもなく、魏の軍師が緩やかに天下を取って終わるのです……
これが三国志のざっくりした解説です。4つの記事に渡って三国志をさらっと概観できました。
なんか期待通りの終わり方じゃないですよね。「こんな終わり方なんだ……」って思いますよね、だから複雑。やはり、三国があったので、一つが勝ってももう一つが襲ってくるという難しいパワーバランスだったのがこのような結果になってしまったのかもしれません。
さてさて、ここで取り上げたのは本当に三国志を薄めて薄めて薄めた一部に過ぎません。ぜひ三国志についてもっと知りたい方は本や漫画で三国志を楽しんでみてくださいね!!
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小学生でも分かる中国史: 皇帝と戦乱 激動の歴史
中国の歴史を小学生でも分かるくらい簡単にざっくり勉強してみましょう。中国の歴史は日本の歴史にも大きく影響を与えています。中国の歴史は良い国際教養となり、これからのビジネスや国際関係に役立っていくことでしょう。
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