この記事では、ベトナムで仕事をする上で欠かせないベトナムの歴史である「ベトナム戦争」についてかんたんにご説明したいと思います。
メモ
このページの目的は、特定の政治的意見に賛同、反対を表明することではなく、あくまで歴史的事実をお伝えすることです。当サイトは政治的ないかなる主義主張に関してその良し悪しを意見する立場にはないと考えています。この記事内で政治的主義に関する簡単な説明が含まれますが、これはあくまで歴史上の事実を伝える目的であり、記事執筆者の政治的意見を示すものでは決してありません。当サイトは政治的意見に厳正中立を保ちます。なお歴史に関しては異論や諸説が存在するという点も重ねてご了承ください。
東西冷戦の渦の中に
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ベトナムの歴史その1~支配と抵抗の揺籃期~
この記事では、ベトナム人と仕事を行う上で役立つ最低限のベトナムの歴史をご紹介しましょう。今回は、中国からの独立から第二次世界大戦集結までです。
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ベトナムは第二次世界大戦前、フランスの植民地でした。しかし、第2次世界大戦中の1940年、日本はフランスが支配するベトナムを攻撃し、ベトナムを支配したということでしたね。
しかし、ベトナム人による国を作ろうという運動が起きます。立ち上がったのが「ホー・チ・ミン」という人です。
「ホー・チ・ミン」は各地を転々として、「共産主義(社会主義)」の考えに触れました。その当時はこの「共産主義」という考えはまさに理想のシステムだと考えられていました。それで、ホー・チ・ミンは共産主義の国を作ることを理想とする組織である「ベトナム共産党」を作ります。そして日本が戦争に負けた直後、1945年9月2日に共産主義を目標にする国「ベトナム民主共和国」の独立を宣言します。この9月2日がベトナムの国慶節( Ngày Quốc Khánh )、つまり建国記念日として現在祝日になっています。
そこにフランスがもう一度ベトナムを支配するためにもどってきます。そのフランスにホー・チ・ミンは抵抗します。これが「インドシナ戦争」です。ホー・チ・ミンを支援するのがソ連と中国。そしてフランスをバックアップしたのがアメリカでした。このとき、アメリカを中心とした資本主義グループの国とソ連を中心とした共産主義グループの国とがにらみ合っていたからです。
資本主義 ? 共産主義 ?
資本主義とは自由に商売しようという考えです。ある人が商売をします。お金を儲けます。するとその人は隣の人よりお金持ちになりますね。このように自由に商売してお金を儲けていきましょう、この考え方が資本主義です。この考えでは自由が一番です。しかし、自由に商売すると、お金をたくさん持つものと、貧しいものが出てきます。これがどんどんどんどんエスカレートしていくとお金持ちと貧乏人の差がものすごく大きくなってしまいます。
それはいびつである、本来人間は平等のはずだ、そのような考えから出てきたのが共産主義(社会主義)です。
共産主義は、何かを作ったり、売ったりするのを全部「国」、国家がコントロールしようという考え方です。みんなどんな仕事でも同じだけお給料を国が支払います。そのようにして理想の平等な社会を作りましょう、これが共産主義です。
東西冷戦
共産主義の考えを実現させるには、お金持ちをなくし、みんなが平等、平らでなければなりません。それで、共産主義を実現させようとした国々では、往々にしてお金持ちや知識人を弾圧したり殺したりする事件が起こりました。これを「革命」といいます。そんな事件が自分の国でもあったら大変だ。アメリカを中心とした資本主義国はなんとしてでも共産主義を食い止めたいと思いました。
平等の理想を追求したいソ連中心の共産主義グループ(東側陣営)
それを食い止めたいアメリカ中心の資本主義グループ(西側陣営)
この2つのグループがにらみ合う状態が続きました。2つの国が直接的に戦争したわけではないですが、まさに一触即発、核戦争がいつ起きてもおかしくないとても危険な状態にあったので「冷たい戦争」「冷戦」と呼ばれるようになりました。
南北分断
NachoGD - 投稿者自身による作品, パブリック・ドメイン, リンクによる
そのようなわけで、ホー・チ・ミンとフランスの戦争において、アメリカは資本主義のフランスを支援。しかしフランスは戦争に負けます。そしてフランスはベトナムから撤退します。
しかしアメリカは恐れます。ベトナムで共産主義の勢力を食い止めないと共産主義勢力が広がってしまう。それで、ベトナムへの介入を続けます。1955年アメリカの支援によって資本主義の国「南ベトナム(ベトナム共和国)」ができます。こうして、ベトナムは南北で分断されました。

ベトナム戦争
しかし、南ベトナムの政権は、南ベトナムの人々から好まれなくなっていきました。国内は混乱し、南ベトナム内で反対する人達が出てきました。その南ベトナム人の政府に反対する人たちが、反政府ゲリラ活動を開始しました。それで「南ベトナム政府」と「南ベトナムのゲリラ」のあいだで戦いが起き、南ベトナムは内戦状態になります。
ここでアメリカは、この南のゲリラを北ベトナムが支援していると考えるようになります。それで北ベトナムを空爆します。これを「北爆」といいます。ここからベトナム戦争が本格化しました。
メディアが終わらせた戦争
Eric Koch / Anefo - Nationaal Archief, CC0, リンクによる
アメリカはこの戦争で苦戦します。また、報道記者から送られる写真や記事によって世界中の人々がベトナムで起きている戦争の状況を知るようになります。アメリカの世論は一気に戦争にネガティブになり、アメリカ国内で反戦争運動が生じます。
このようなわけでアメリカはベトナムから撤退。それでベトナム戦争は「メディアが終わらせた戦争」と呼ばれています。最後、1975年4月30日、南ベトナムの首都サイゴンが陥落して北ベトナムが勝ち、ベトナム戦争は集結します。ベトナムは統一され、国名は「ベトナム社会主義共和国」に変更されました。
ところで、ホー・チ・ミンはアメリカ撤退の少し前に心臓発作でなくなってしまいます。陥落したサイゴンはホー・チ・ミンの名前をとって「ホーチミン市」という名前に改められました。
影響が深いベトナム戦争
この記事では、ベトナムを理解する上で最低限必要なベトナム戦争の歴史をとてもかんたんに説明させていただきました。もちろんここでまとめさせていただいた点は、歴史を説明する一つの方法に過ぎず、異論や諸説があると思います。ご了承ください。
ベトナムに来てわかることは、ベトナム戦争の影響は今でもベトナムに残っているということができます。ベトナムの現在を知る上でも、これらのベトナム戦争の最低限の歴史を知っておくことはおそらく役に立ってくることでしょう。